「夫婦なんだから、それくらいある」
「男が少しくらい手を上げることもある」
「家庭の中のことを警察に言うなんて大げさだ」
今でも、ときどきそんな感覚を持っている人がいます。
しかし、時代は変わっています。
昭和の頃に「夫婦喧嘩」「家庭内の問題」として周囲が深く介入しなかったような行為であっても、現在ではDVとして捉えられたり、内容によっては明確に刑事事件になったりする可能性があります。
夫婦であることは、暴力を許す理由にはなりません。
恋人であることも同じです。
そしてDVの本当に恐ろしいところは、一度殴った、一度怒鳴ったという瞬間だけではありません。
その一回を境に、二人の心理、家庭、子ども、婚姻関係、財産、仕事、社会的信用、そして場合によっては刑事責任まで、人生のさまざまなものが連鎖的に壊れていくことです。
「カッとなっただけだった」
本人にとっては、その程度の認識だったとしても、受けた側にとっては、その日から相手を見る目が完全に変わることがあります。
DVは、その瞬間だけの問題ではありません。
未来を壊す行為です。
別れさせ屋さんへのご相談でも、「最初は暴力だと思っていなかった」という話がある
別れさせ屋さんへ寄せられる男女問題のご相談を振り返っていると、DVについて考えさせられることがあります。
最初から、
「私はDVを受けています」
とはっきり認識している人ばかりではありません。
「怒ると物を投げます」
「壁を殴ります」
「私のスマートフォンを取り上げます」
「友達と会うと機嫌が悪くなります」
「生活費を全部管理されていて、自分のお金がありません」
「別れると言うと、どうなるか分かってるよなと言われます」
そうした話を一つずつ聞いていくと、単なる夫婦喧嘩や性格の問題では済ませにくい状況が見えてくることがあります。
身体的な暴力だけがDVではありません。
精神的な暴力、性的な暴力、経済的な支配などもDVとして問題になります。
「殴っていないからDVではない」は通用しない
DVという言葉から、多くの人が最初に想像するのは、
殴る。
蹴る。
髪を引っ張る。
突き飛ばす。
こうした身体的暴力だと思います。
もちろん、これらは重大な問題です。
しかし現在、DVとして問題になる行為は、それだけではありません。
大声で怒鳴る。
人格を否定する。
長時間無視する。
交友関係を制限する。
行動を監視する。
スマートフォンを勝手に確認する。
外で働くことを妨げる。
生活費を渡さない。
性的な行為を強要する。
物を壊して恐怖を与える。
こうした行為も、状況によって精神的、経済的、性的な暴力として問題になります。
「直接殴っていない」という一点だけで、「自分はDVをしていない」と判断することはできません。
現在の配偶者暴力防止法でも、身体への暴力だけでなく、これに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動が対象とされています。
心理面で最初に壊れるのは、「安心して一緒にいられる」という感覚
恋人や夫婦にとって大切なのは、愛情だけではありません。
安心です。
この人の前なら寝られる。
失敗しても殴られない。
意見が違っても怖い思いをしない。
嫌なことには嫌と言える。
それが、人と生活を共にする最低限の安全だと思います。
DVは、その安全を壊します。
一度でも本気で殴られれば、
「また殴られるかもしれない」
と思います。
壁を蹴っただけでも、
「次は私かもしれない」
と感じることがあります。
大声で怒鳴られることが繰り返されれば、
「何を言ったら怒るのか」
を常に考えるようになります。
やがて会話は、
「自分が何を伝えたいか」
ではなく、
「どう言えば怒られないか」
に変わります。
これは対等な夫婦関係とは言いにくい状態です。
DVが続くと、被害者自身が「自分が悪い」と考え始めることがある
DVの厄介なところは、外から見れば異常な状況でも、長くその中にいる本人には、それが日常になってしまうことです。
「私が怒らせたから」
「私の言い方が悪かった」
「普段は優しい人だから」
「仕事で疲れていたから」
「次から気を付ければ大丈夫」
そう考えてしまうことがあります。
内閣府も、暴力を繰り返し受けることで無力感に陥ったり、「いつか変わってくれる」と考えて被害を認識しにくくなったりする場合があると説明しています。
さらに、繰り返される暴力によって、PTSDなど精神的な影響が生じることもあります。
DVの恐ろしさは、相手の身体を傷つけるだけでなく、その人自身の判断力や自尊心まで少しずつ奪っていくことです。
加害する側も、「一度許された」が最も危険になることがある
これは加害する側にも言いたいことです。
一度殴った。
翌日謝った。
相手が許してくれた。
だから終わった。
そう思わないほうがいい。
相手がその場で離婚しなかったことは、
「許された」
ことを意味するとは限りません。
怖くて何も言えなかっただけかもしれない。
子どもがいるから動けなかったのかもしれない。
仕事や住居の準備をしているのかもしれない。
証拠を保存し始めている可能性もあります。
家族や友人、弁護士、警察、配偶者暴力相談支援センターへ相談しているかもしれません。
表面上は昨日と同じ家庭でも、
相手の中では、すでに「この人とどう暮らすか」から「この人からどう離れるか」へ思考が変わっていることがあります。
子どもの前で行われるDVは、「夫婦二人だけの問題」ではなくなる
子どもがいる家庭では、さらに重大です。
「子どもには手を出していない」
と考える人がいます。
しかし、父親が母親を殴る。
母親が父親に激しく暴力を振るう。
物を壊す。
怒鳴り続ける。
子どもがそうした状況を見聞きしていること自体が、子どもの心身へ影響を与える可能性があります。
内閣府も、暴力を目撃した子どもにさまざまな心身の症状が表れる場合があり、暴力を問題解決の手段として学習してしまう可能性について説明しています。
「子どもには暴力を振るっていないから関係ない」という話ではありません。
夫婦のDVは、家庭全体の問題になります。
民事面では、DVは離婚原因になり得る
ここからは、感情とは別の現実です。
DVが続いた結果、相手が離婚を求めることがあります。
話し合いで離婚に合意できれば協議離婚となる場合がありますが、合意できなければ調停、さらに訴訟へ進むこともあります。
現在の民法では、「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」が裁判上の離婚原因の一つとされています。
裁判所も、暴力行為などによって婚姻関係が深刻に破綻し、夫婦としての共同生活を回復する見込みがない場合などを、この「婚姻を継続し難い重大な事由」の例として説明しています。
つまり、「離婚には絶対に応じない」と本人が言えば婚姻を永久に維持できる、というものではありません。
暴力によって自ら婚姻関係を破壊していけば、それが離婚を判断する重要な事情になり得ます。
DVは慰謝料・損害賠償の問題にもなる
DVによって身体や精神を傷つければ、民事上の損害賠償責任が問題になる場合があります。
治療費。
通院交通費。
休業による損害。
精神的苦痛に対する慰謝料。
具体的な内容によって請求の範囲は変わります。
また、身体的・精神的暴力が婚姻破綻の主な原因となって離婚へ至った場合には、離婚に伴う慰謝料の問題になることもあります。
ただし、DVがあったから必ず特定額の慰謝料になるというものではありません。
期間、回数、暴力の程度、負傷の内容、証拠、婚姻関係への影響など、個別事情によって判断されます。
それでも、
「家庭内でやったことだから、民事上の責任もない」という考え方は危険です。
家庭のドアを閉めたからといって、民法まで外に置いてこられるわけではありません。
そして昭和との決定的な違いは、「刑事事件になり得る」という現実
ここは特に重要です。
夫婦間だから刑法が適用されない、ということはありません。
配偶者間の犯罪にも、刑法その他の刑罰法令は適用されます。
殴る、蹴る、突き飛ばすなどの行為は、内容によって暴行罪が問題になります。
けがをさせれば、傷害罪が問題になります。
「殺すぞ」
「家族をどうするか分からないぞ」
など、相手を畏怖させる程度の害悪を告知すれば、状況によって脅迫罪が問題になることがあります。
暴力や脅迫によって、相手に義務のないことを無理にさせれば、強要罪が問題になる可能性もあります。
「妻だから」「夫だから」「恋人だから」は、暴行や傷害をしてよい理由にはなりません。
夫婦喧嘩だと思っていたものが、警察への相談、被害届、告訴、捜査へ進む可能性があります。
「一発くらい」は、一発では済まない
カッとなって、一度だけ平手打ちをした。
本人の頭の中では、
「一発だけ」
なのかもしれません。
でも、その一発から、
警察への相談。
診断書。
写真。
家族への相談。
別居。
弁護士相談。
離婚調停。
慰謝料請求。
刑事手続。
という流れにつながる可能性があります。
さらに職業によっては、刑事事件になったことが勤務先や資格、取引関係などへ影響する可能性もあります。
具体的な影響は職種や事件の内容によって異なりますが、
数秒の暴力で、その後何年にもわたる問題を自分で作ってしまう可能性があるのです。
これがDVの破滅性だと思います。
現在は「精神的被害だから何もできない」とも限らない
配偶者暴力防止法も変わってきています。
2024年4月から施行された改正では、接近禁止命令等について対象が拡大され、生命や身体への脅迫だけでなく、自由、名誉、財産に害を加える旨の脅迫を受けた場合も一定の要件のもとで対象となり得るようになりました。
また、重大な精神的被害についても保護命令制度の対象が拡大されています。
現在の保護命令には、被害者への接近禁止だけではなく、一定の場合に電話等の禁止、子への接近禁止、子への電話等の禁止、親族等への接近禁止、退去等命令などがあります。
「殴っていないから裁判所に何もされない」と考えるのも、現在では危険です。
そして保護命令に違反すれば、それ自体について刑罰が定められています。
DVを繰り返す人が失うのは、配偶者だけではない
DVの結果として失う可能性があるものを考えると、
配偶者。
家庭。
子どもとの生活。
住居。
財産。
お金。
社会的信用。
仕事。
そして自由。
ここまで広がる可能性があります。
もちろん、すべてのDV事案が同じ結果になるわけではありません。
しかし、
「怒らせた相手が悪い」
「家庭内だから関係ない」
「昨日謝ったから終わった」
という認識で繰り返していれば、問題は積み重なっていきます。
「俺を怒らせるお前が悪い」という考え方の危険性
DVの話をするとき、私はこの考え方が一番危険だと思います。
「俺を怒らせたから殴った」
でも、怒ることと殴ることは別です。
腹が立つ。
傷つく。
裏切られたと感じる。
嫉妬する。
そういう感情を持つこと自体は、人間ならあります。
でも、
感情を持つことと、その感情を理由に他人へ暴力を振るうことはまったく違います。
相手が何を言ったとしても、暴力という行動を選択した責任まで相手へ渡すことはできません。
ここを認められないままでは、
「もうしない」
と言っても、
次に怒ったとき、
また同じ理由を作ります。
謝罪と反省は違う
DVの後、
「ごめん」
「もう絶対にやらない」
「愛している」
と言う人がいます。
もちろん、本当に後悔している人もいるでしょう。
しかし、大切なのは謝った回数ではありません。
何が問題だったのかを理解しているか。
相手のせいにしていないか。
酒のせいだけにしていないか。
具体的に再発を防ぐ行動を取っているか。
必要なら専門機関へ相談しているか。
相手が距離を置きたいと言ったとき、それを尊重できるか。
そこまで見なければ、本当に変わったかは分かりません。
「殴った。でも向こうにも原因がある」と考えているうちは、反省ではなく責任転嫁が残っています。
被害を受けている側は、「もっとひどくなってから」動く必要はない
反対に、被害を受けている人へ伝えたいことがあります。
「骨折するほどではないから」
「毎日ではないから」
「子どもには優しいから」
「経済的に一人では暮らせないから」
そう考えて、ぎりぎりまで耐えてしまうことがあります。
しかし、内閣府もDVは家庭内で起きるため潜在化しやすく、暴力がエスカレートして被害が深刻化しやすいという特徴を挙げています。
危険を感じているなら、
「まだ大丈夫か」
を証明する必要はありません。
警察。
配偶者暴力相談支援センター。
弁護士。
法テラス。
自治体の相談窓口。
信頼できる家族。
利用できるところへ相談して構いません。
命や身体に差し迫った危険がある場合は、夫婦関係をどうするか考えることより、安全を確保することが先です。
昭和とは違う。でも、本当に変わるべきなのは法律だけではない
かつて、
「夫婦喧嘩に他人が口を出すものではない」
「妻は多少我慢するものだ」
「男なら手が出ることもある」
という考え方が存在した時代がありました。
しかし、2026年の現在、その感覚をそのまま持ち込むことはできません。
法律も変わりました。
支援制度も変わっています。
社会の受け止め方も変わっています。
そして何より、
結婚したからといって、相手の身体、人格、自由を所有できるわけではありません。
夫婦は上下関係ではありません。
恋愛も支配関係ではありません。
愛しているなら殴ってよい。
嫉妬したら監視してよい。
養っているから自由を制限してよい。
そんな関係を愛情と呼ぶことはできないと思います。
DVは相手だけを壊すものではありません。
自分自身の家庭を壊し、子どもの生活を壊し、民事上の責任を生み、場合によっては刑事責任まで生みます。
「家庭の中だから許される」は、もう通用しません。
そして、最も取り返しがつかない未来になる前に必要なのは、
「まだ犯罪ではないだろう」
と境界線を探すことではありません。
暴力を受けている側なら、安全を確保すること。
暴力を振るっている側なら、今この時点で止めること。
その一歩です。
DVによって壊れてから後悔するのではなく、壊れる前に止める。
それが、相手の未来だけではなく、自分自身の未来を守ることにもなるのではないでしょうか。
カウンセラー M